鈴木啓示 個性的なプロ野球監督

鈴木啓示

鈴木啓示氏は、1965年のドラフト2位で育英高校から近鉄バファローズに入団しました。その後の鈴木氏が投手としてプロ野球に残した足跡は実に偉大なもので、20年の投手生活で歴代4位となる通算317勝を挙げました。鈴木氏が1984年に達成した300勝は20世紀最後の300勝であり、鈴木氏を最後に日本プロ野球には300勝投手は出現していません。1985年のシーズンを最後に現役を引退した鈴木氏は1993年に古巣近鉄バファローズの監督に就任しました。が、その監督生活は現役時代とは異なり、困難なものとなりました。

コンディショニングコーチや選手と調整方法や練習方法を巡って対立することとなり、チーム成績も低迷を余儀なくされたのです。300勝という偉大な成績を残した鈴木氏は、自身が行なってきた練習方法に絶大な自信を持っており、一方、若いコーチや選手達は鈴木氏とは異なる独自の方法をもっていました。たとえば、鈴木氏は現役時代、真冬の練習にもスパイクを履いてランニングを行なっていましたが、93年当時のコンディショニングコーチは冬にスパイクを履いてランニングを行なうと足を痛める原因になりかねないという危惧を持ちました。その対立が野茂英雄や吉井理人ら投手陣との対立を招く契機となります。

現役時代に達成した自身の足跡に自信と誇りをもつ鈴木氏は、監督就任後に周囲と意見が対立した時、柔軟に対応することができなかったようにも見えます。鈴木氏について考えると、選手として優れて個性的だった人が監督になった時、その個性をどのように生かしていくかということは難しい問題だと痛感します。