仰木彬 個性的なプロ野球監督

仰木彬

仰木彬氏はその現役時代を黄金期の西鉄ライオンズでレギュラーの二塁手として過ごしました。当時、西鉄ライオンズは名将三原脩氏の下で野武士軍団と呼ばれ、1956年から58年まで3年連続で日本シリーズを制覇した強力なチームでした。そして後に、近鉄バファローズやオリックス・ブルーウェイブで名将として大きな功績を残した仰木氏には、いつも西鉄時代の自由で野太い雰囲気が漂っていました。その采配も奇策と呼ばれるような個性的なものが多かったのです。西鉄の三原氏の采配が「三原マジック」と呼ばれたように、仰木氏の采配は「仰木マジック」と呼ばれました。

1988年、近鉄の監督に就任した仰木氏は、西武と激しい優勝争いを繰り広げ、10月19日のロッテとの最終戦で惜しくも敗れて優勝を逃しましたが、前年度最下位のチームを率いた新任監督が黄金期の西武をあと一歩のところまで追い詰めたのです。この試合は、プロ野球の歴史の中でも特筆すべきドラマティックなゲームとして今もプロ野球ファンの間で語り継がれています。

また、仰木監督の優れた手腕は若い選手の個性を伸ばして育成することに発揮されました。その代表がイチローの育成です。それまで2軍生活を送っていたイチロー選手を球史に残る大選手に育てる契機を与えたのは紛れもなく仰木監督だったのです。