栗山英樹 個性的なプロ野球監督

栗山英樹

北海道の初めてのプロ野球球団、北海道日本ハムファイターズの監督の栗山英樹さんは、チームを日本一に導いた実績がある方です。監督になる前はテレビのプロ野球ニュースの解説者として、的確な指摘や解説で人気がありました。前任の梨田さんの後を引き継いで数々の実績を残している方です。苗字と同じ栗山町に住居を構えて北海道民とも繋がりが深い方で飾らない人柄から個人的にもファンが多い監督として知られています。

プロ野球では、選手の起用方法には特徴があって、調子が悪くて打撃が不調であってもその人の潜在能力を信じて使い続けるのは有名です。この選手をチームの4番打者としてふさわしいと考えると、その打者が不調でチャンスに打てなくても4番バッターとして起用し続けることが個性的と言われています。

そのため一部のファンから調子のよい選手を使い続けるべきだという意見も言われていますが、監督としての自分自身の方針は貫き通すことが多く、そのように信じた選手を使い続けることで、チャンスには必ず打ってくれる期待に応えることができるように調子を上げてくれて、それがチームの勝利に結びつき、信じた選手がチャンスメークをして結果を出すことでチーム全体、そして北海道全体が盛り上がるという、道民から人気があり地域に密着したプロ野球チームにしてくれました。

吉田義男 個性的なプロ野球監督

吉田義男

プロ野球阪神タイガースの歴代監督の中で、唯一3度就任し、日本一にか輝いたのが吉田義男氏です。3度の監督経験の中で、最も印象的だったのが、第2期に当たる1985年から1987年であり、1985年には日本一に輝いています。なお、阪神タイガースが日本一に輝いたのは、後にも先にもこの1度だけです。

1985年の阪神タイガースは、掛布、バース、岡田といった最強のクリーンナップを軸に、とにかく打撃のチームでした。そのため、いくらチームが独走しようとも「優勝」という言葉は口にしませんでした。8月下旬になって、代打の神様と呼ばれた川藤選手に促され、ようやく「優勝」を口にし、見事に日本一に輝いています。

それに比較して第3期に当たる1997年から1998年は、暗黒時代と呼ばれた時期であり、チームも最下位、5位と低迷していましたが、実は吉田義男氏が監督であった時代に育成した、今岡誠・関本健太郎・濱中治・坪井智哉・井川慶、トレードで獲得した矢野燿大が後のリーグ優勝の中心メンバーであることを忘れてはなりません。吉田義男氏は、日本プロ野球界だけでなく、フランス代表監督を務めるなど、個性的な経験を持っており、もっと評価されて然るべき野球人です。