「プロ野球界で記録より記憶に残る選手は誰か」という質問を投げかけると、間違いなくこの人の名前が返ってくるでしょう。「それは新庄剛志である」と。1990年代は亀山努とともに、暗黒時代の阪神タイガースの中心として奮闘し、そのハンサムなルックスから女性ファンからも人気があった新庄。敬遠球をサヨナラ安打にしたり、突然の引退宣言をしたりして当時から異彩を放っていました。2001年にはFA宣言しニューヨーク・メッツへ移籍。同年にシアトル・マリナーズに移籍したイチローと共に、初の日本人野手のメジャーリーガーとなりました。
翌年にはバリー・ボンズらと共にサンフランシスコ・ジャイアンツの一員としてワールドシリーズにも出場しました。満を持して帰国した2004年、同年本拠地を札幌に移した北海道日本ハムファイターズに入団すると、「札幌ドームを満員にし、チームを日本一にする」と高らかに宣言、2006年のシーズン中に引退宣言をし、同年に自身初の日本シリーズ出場を果たすとそのまま日本一の栄冠も手にしました。
パフォーマンスや個性的な被り物など、派手な演出が目に付く新庄ですが、プロ野球の世界に飛び込みはじめて貰った給料で買ったグローブを引退年まで使い続けるなど、野球に対しては非常に真摯な面も見られました。彼のような選手は、今後二度と出てこないでしょう。
プロ野球で活躍する個性的な選手を紹介。横浜DeNAベイスターズ所属の投手である井納翔一選手を取り上げます。井納翔一選手は1986年東京都出身。高校時には在学していた高校が甲子園に出場するもベンチ入りはできませんでした。しかし、大学でも野球を続け、さらに社会人野球に進みます。4年目の2012年には所属チームの主力投手となり、都市対抗野球大会では準決勝まで進みます。
この活躍もあり、2012年に横浜DeNAベイスターズの3巡目指名を受けて、晴れてプロ野球選手になります。プロ初年度の2013年には開幕から先発ローテーションに入るなど新人らしからぬ活躍を見せます。2年目の2014年には月間MVPも獲得するなど活躍。二桁勝利も果たします。2015年には怪我での一時離脱もありましたが、2016年には通年で活躍。開幕投手にも選ばれ、早くもエースとして見られる存在になりつつあります。
井納翔一が個性的なのはその発言。その天然ボケ的な面白さから「宇宙人」というあだ名で呼ばれることもあります。例えば自身の誕生日に監督から何歳になったのか聞かれた時、「今日です」という意味の不明な答えをして周囲を笑わせました。同様のことは枚挙に暇がありません。野球人としての活躍に加え、試合の外での言動でも注目を集められる彼は、プロ野球のスターとして大いに期待できる存在です。
プロ野球の世界では、毎年12球団が2つのリーグに分かれて熾烈な戦いを行っています。野球の勝敗には監督の戦術が大きく左右します。個性的な経歴を持つ監督と言えば、元西武ライオンズの渡辺久信氏もその一人です。渡辺久信氏は、群馬県出身の元プロ野球選手で、185cmの投手らしい大柄な体型と優しい笑顔で多くのファンに愛されており、「ナベQ」の愛称で呼ばれています。
1983年のドラフト会議で西武ライオンズに1位指名されると、翌年から1群に定着し、3年目には最多勝、最多奪三振の二冠を果たします。以降も西武黄金期の柱としてチームを支え続けてきました。しかしながら、1998年には戦力外でヤクルトに移籍し、そこでも成績が振るわずにオフに戦力外を受けてしまいます。現役引退後台湾に渡り台湾チームの投手コーチに就任しますが、言葉が通じない中で指導を行うに当たって急遽選手兼任となり、台湾球界を代表する選手として活躍し、2001年に現役を引退することになりました。現役時代に貢献度の高い選手に行われる引退試合も無いまま球界を去ることになりましたが、台湾球界の発展に貢献したのです。
指導者としての原点をこの台湾での3年間であると語っている渡辺久信氏は2004年に西武の二軍投手コーチとして日本球界に復帰すると、2008年に一軍監督に就任し、その年に前年度Bクラスのチームを就任一年目で優勝と4年ぶりの日本一に導きました。しかしながら残りの5年間の間では、勝率5割をキープしながらも、一度も頂点に立てないまま2013年に監督を辞任し、西武ライオンズのシニアディレクターに就任し、今もなお西武ライオンズを支え続けています。
プロ野球にはフリーエージェントという制度があります。難しいことを抜きに説明すれば、活躍した選手には所属球団の意向なしに他の球団と交渉できる権利が与えられます。活躍が大きい選手ほど、獲得したい球団にとって条件がいろいろと付いてきます。
2018年度においても、フリーエージェント制度を行使した大物選手は多くいます。
大物選手ですから複数の球団が名乗りを上げます。年俸や条件など交渉の末に、いずれかの球団が獲得します。しかしようやく獲得したからといって球団の仕事はそこで終わりではありません。
トップ・クラスの選手ならば、自軍の選手を元所属球団に人的補償として差し出さなければならないからです。
もちろんフリーエージェントによって選手を出す球団が、獲得先である球団のどんな選手でも自由に選択できるわけではありません。直近のドラフト獲得である新人選手に、外国人枠の適用外になった外国人選手。そして獲得球団が行うプロテクトした28人の選手たちです。
原監督の復帰で2019年度を挑むことになった読売ジャイアンツ。広島東洋カープの主軸打者だった丸佳浩選手と埼玉西武ライオンズのベテラン捕手であった炭谷銀仁朗選手をフリーエージェントによって獲得しました。
その人的補償として、広島東洋カープには長野久義選手が、埼玉西武ライオンズには内海哲也選手が移籍することとなりました。
この両選手ともドラフトにおいて他球団からの指名を拒否して読売ジャイアンツへ入団した経緯があります。プロテクトから外されての移籍にどのような心中にあるか。
実績ある一流選手の両名がこのまま引き下がるとは考えにくいです。2019年度におけるプロ野球の台風の目となる活躍が期待できます。