王貞治 個性的なプロ野球監督

王貞治

プロ野球の世界で個性的な活躍をした監督と言えば、王貞治も代表的な存在になります。現役時代は通算868本の本塁打を記録して、巨人のV9時代に君臨した名選手だったのですが、指導者としての姿に魅了されるファンも少なくありません。

王貞治は引退後には第二次藤田政権下でベンチに入り、指導者としての英才教育を受けました。1984年には巨人軍の11代監督に就任し、指導者としての新たな歴史が始まることになりました。1983年の優勝後に引き継いだ形ですが、当初は結果を残すことが難しく、なかなか優勝することができませんでした。結果的には1987年に初優勝しますが、成績不振が影響して翌年には退任しています。

巨人時代の経験を経て、1994年には福岡ダイエーホークスの監督に就任しました。当初はBクラスが続いたため、ファンから厳しい批判を受けることもありましたが、次第に個性的な指導者に変わっていきました。1999年にはリーグ優勝と日本シリーズ制覇の栄光を手にして、プロ野球の話題を独占しています。2000年の日本シリーズでON対決が実現した際は、指導者としては絶頂期でした。巨人とダイエーの両方で不遇な時代を経験しながらも、結果的には個性的な名監督に成長した王貞治は稀有な存在です。

落合博満 個性的なプロ野球監督

落合博満

落合博満さんはプロ野球で中日ドラゴンズの監督を2004年から2011年の間勤めました。落合さんは監督としてもさることながら選手としても非常に優秀でした。神主打法という独特なバッティングフォームから多くのヒットを生み出し、日本プロ野球では唯一3回の三冠王に輝きました。落合さんは選手時代同様監督としても非常に個性的でした。ひたすら勝利のために必要な戦術を追求し、その野球は「オレ流」とも言われました。

そういった姿勢は選手にも浸透し、とびぬけて能力の高い選手はいなかったものの、4度のリーグ優勝に導きました。ただ、その戦術が守備的で堅実なものであって、必ずしもファンを魅了するというものではありませんでした。

一部ファンの中には野球戦術がつまらないという主張をする方もおり、それが球団幹部の耳にも入ったのか、2011年リーグ優勝を果たしたにも関わらずその年で中日ドラゴンズの監督を退任しました。その後のチームの低迷を考えても、限られた戦力の中で落合さんがいかにその力を引き出し、チームを引っ張っていたのかがうかがい知れます。ちなみに2013年から2017年1月までは中日ドラゴンズのGMとして、これまた個性的な手腕を発揮されました。